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色彩トップインタビュー

株式会社昇陽 代表取締役社長 谷田光代氏にヨシタミチコ理事がお話を伺いました。

仕事への情熱は生きがいをもって取り組むこと

 

姉の影響で入った宝塚音楽学校
ツレちゃん(鳳蘭さん)の1年先輩です

ヨシタ 光代社長は宝塚音楽学校のご出身ということですが、少女の頃に宝塚を目指したきっかけや宝塚時代のお話など、お聞かせいただけますか。

谷田 私は4人姉妹の末っ子で、年の離れた姉がいました。本当は、この姉が宝塚に入りたかったのです。
でも、戦前のことでしたので、姉は親から「踊り子なんてとんでもない。代わりにピアノを習いなさい」と言われ、宝塚への進学を諦めました。

その後、戦争中に家が焼けてしまって、宝塚の近くに住んでいた祖母の家に身を寄せていたときに、この姉が私をたびたび劇場に連れていってくれたのです。

そして、行くたびに姉が小さい私に向かって、
「光っちゃん、きれいでしょう。宝塚っていいでしょう。光っちゃん、宝塚に入りたいよね」
と言われて、私は「うん。うん」と頷いていたんですね。こんな風に、姉に洗脳されてしまって(笑)、私は宝塚に入ったんです。

学校では、規律を守ることはもちろん、先輩後輩の厳しい上下関係、寮での共同生活、食事もお風呂も一緒の姉妹のような生活です。生徒は全国から集まっているので、知らなかった地方のことを学ぶ機会にもなりました。

同級生とは、四六時中一緒の本当に密度の濃い関係でしたから、この宝塚での学校生活、寮生活は、その後の私の人生で大きな財産となりました。同期の人たちはとても成績優秀で、指導者になった人がたくさんいます。1年後輩には、ツレちゃん(鳳蘭さん)がいました。

宝塚の後はNHKの歌のお姉さん

谷田 宝塚の後は、NHKの幼児番組で歌のお姉さんをしていました。当時のNHKは日比谷にあって、「NHK東京放送会館」と言いましたが、その中のスタジオに通っていました。

ヨシタ NHKは、日比谷に本部があったんですね。

谷田 そうです。今の日比谷シティの場所にありました。そこで、番組の中のミュージカルで唄ったり、ウサギの人形に声を当てるようなことをしていたんです。私の後は、小鳩くるみさんがお姉さん役になったんですよ。

こんな感じでしたので、ほとんどお芝居とか芸能界というのを知らずに過ごしていまして、本格的に女優業をすることになったのは、ずいぶん後になってからのことです。

 

56歳にして女優デビュー

谷田 56歳のとき、初めてのドラマ出演で準主役をいただきました。お昼の連続ドラマで、65回のうち60回出演しました。役が決まったときに「これが初めて」とは言えなくて、そこからがとてもたいへんでした。

台本1ページ半をずっと1人でしゃべり続けるような場面がざらにあって、とにかく、セリフを紙に書いては家中の壁に貼って、お風呂の中でも、トイレの中でも覚えました。(笑)

4本ほどドラマに出演しましたが、もともと芸能界が合わなかったんですね。俳優というのは、何人もの候補者のなかから選ばれてその役になるわけですから、ある意味では、多くの人の仕事を奪ってその地位に立っているとも言える。そういう世界なのです。

ヨシタ ビジネスは、常に時代を読んでいくことが必要ですし、女優業とは別の意味で厳しい世界だと思います。実業家になろうという動機は、どこから生まれたのでしょうか。

谷田 芸能界は私には合わなくて、その後、好きだった色の知識を活かしてプリザーブドフラワーを作る事業を始めました。プリザーブドフラワーは、枯れない花なので、自分の色が枯れないというのがいいと思ったのです。

プリザーブドフラワーは
見る人がしあわせになってくれるように
色を選んで贈る花束

ヨシタ 光代社長は色彩の知識をお持ちなので、プリザーブドフラワーのアレンジメントも、色合わせが素晴らしかったのではないでしょうか。

谷田 最初の頃は材料を仕入れていましたが、それでは利益が出ない。何とかしたいと思っていた時に、たまたま中国に出かける機会があり、中国の花を見に行きました。

そうしたところ、同じ花でも日本より一回り大きい。花はプリザーブドフラワーに加工すると、どうしても縮んでしまうので、大きい花は好都合でしたし、価格も安いのです。すぐに、カスミソウの加工を始めて、さまざまな色に染めたものを中国で作り始めました。

ヨシタ 決めたらすぐ動く行動力がいいですね。日本の市場では、どのように販売されたのですか。

谷田 中国で作ったプリザーブドフラワーをギフトショーに出したのですが、それをプランタン銀座の社長さんが見てくれました。それがきっかけで、「母の日」の企画として、プリザーブドフラワーのアレンジメントを扱ってもらうようになりました。

このとき、「お母さんのしあわせを願って色を贈る」というコンセプトでアレンジを作りました。しあわせを願う気持ちを色に託したのです。

そのほか、東京大丸などの百貨店でも販売しました。その都度、接客の研修や在庫の管理など、たいへんなことはたくさんありましたが、テレビの通信販売で販売数ナンバーワンを取るなど、プリザーブドフラワーの世界でひとつの仕事を成し遂げたと思います。

 

70代で新しい仕事にチャレンジ
本当にほしいものは自分で創る

ヨシタ 現在、ヒト骨髄幹細胞順化培養液を使った化粧品開発に成功されています。開発の経緯や、そのプロセスのなかで苦労されたことなどがありましたら、お話しいただけますか。

谷田   年齢を重ねると、誰でもしわやくすみが気になりますね。そのための化粧品が数多くありますが、私の印象では、ビフォー・アフターの広告写真通りになることはほとんどなかったのです。

そこで、本当に効果のある化粧品が作れないかと、化粧品会社に企画を持ち込み、試作を繰り返しました。ただ、なかなか思うようなものができなくて。そんなときに出会ったのが、ヒト骨髄幹細胞順化培養を製造しているリプロセル社でした。

もともと医学研究のためのものですから、それを化粧品に使うことにはさまざまなハードルがありました。ただ、私が欲しい化粧品は世の中になかった。だから、自分が欲しいものは自分で創るという気持ちで取り組みました。

 

若さの秘訣は
いくつになっても責任のある仕事をすること

ヨシタ 人生100年時代と言われますが、いつまでも情熱をもって仕事をするために必要なこと、大切なことはどのようなことだとお考えですか。

谷田   やりがいを持って取り組むということが、大切だと思います。
それから、一番大事だと思うのは、責任ある仕事をするということです。自分で責任を負うからこそ、頭をフル回転させて考え、そして行動することができます。そうすることで、また次の仕事への情熱も湧いてくると思っています。

「しあわせ」であることは、
愛情を感じながら生きること

ヨシタ とても情熱的に仕事に打ち込んでいらっしゃるのですね。

谷田   仕事への情熱も、周囲の人や自分の家族への愛情がなければしぼんでしまうと思います。
常に、愛情深く、愛を感じながら生きることが、とても大切だと思っています。

ヨシタ つまでも若々しく、情熱を持って仕事に打ち込む秘訣を教えていただいた気がします。本日は、ありがとうございました。

株式会社昇陽 化粧品事業部
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