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奥湯河原 加満田の女将 鎌田るりこ氏に田口編集委員がお話を伺いました。

文人墨客に愛された「森の書斎」のもてなし

 

湯河原は万葉集にも詠われた静かな温泉地です

田口 「森の書斎」と呼ばれるほど、自然と結びつきの深いお宿ですね。文人や芸術家に愛された宿として有名ですが、どのようなきっかけで、作家の方が執筆で使われるようになったのですか。

鎌田 以前は、熱海の大きな旅館が出版社の宴会や文壇の集まりでよく使われる場所だったのですが、熱海での会合の後、お仲間同士でもう一泊というときに、湯河原にいらっしゃるお客様が多かったそうです。文壇の宴会が盛んだった当時は、仕事の集まりは熱海、プライベートは湯河原、というように使い分けていらしたようです。
原は静かな温泉地ですが、万葉集にも詠われているほど歴史のあるところで、作家ごとにお気に入りの宿というのがあったそうです。島崎藤村、与謝野晶子、夏目漱石、太宰治、国木田独歩など、湯河原ゆかりの作家はたいへん多うございます。
獅子文六さんや檀一雄さんの小説のなかには、加満田をモデルした旅館の描写もあります。

田口 文人どうしの交流もあったそうですね。

鎌田 石川達三さんはとても絵が上手な方でしたので、カッパの絵で有名な漫画家の清水崑さんと合作でお描きになった色紙や、御酒をお飲みになっている林芙美子さんの後姿のデッサンがございます。創業者正太郎をまじえて、作家の先生方同士の交流もあったようです。

田口 作家さんたちが、旅先でプライベートの時間を楽しんでいる様子がうかがえるエピソードですね。

創業当時の建物

作家が「缶詰」になった始まりの宿

田口 小林秀雄氏が、原稿執筆のため宇野千代さんに缶詰めにされたそうですね。作家の方が執筆のために逗留するようになったのは、それが始まりですか。

鎌田 昭和22年、小林先生が46歳のときにだったのですが、宇野千代さんが『文體(ぶんたい)』という雑誌を出されて、その雑誌に原稿を書いていただくために小林先生を加満田に閉じ込めたというのが、「作家を缶詰にした」最初だと言われています。その際、小林先生が書かれたのが、『ゴッホの手紙』です。
小林先生は、最初に書いた原稿用紙がどんどん減っていってしまわれる方だったそうです。それというのも、一度書いたものを削って削って言葉を磨き、絞りだされたエッセンスのようになるまで推敲されたからです。
今は、ほとんどの方がワープロやパソコンで原稿を書かれると思いますが、それだと修正を加える前の原稿が残らないですよね。書いた文字が残るというのは、実は素晴らしいことだったと思います。今では、赤ペンで修正を入れた原稿用紙が研究の対象になっているともお聞きします。

小林秀雄氏と仲居のキミさん、大女将

小林先生の全集が出版され続けるのは、そのように身を削るようにして紡がれた言葉であるからだと思います。缶詰になって執筆された時から、小林先生は加満田をお気に召してくださいまして、以来30年以上、年末年始には必ず私どものところで年越しをしてくださいました。

列をなして原稿を取りに来る編集者のために部屋を用意したこともあります

田口 水上勉氏が1年の半分をこちらで過ごされるなど、その居心地の良さが窺い知れる気がします。どのようなおもてなしをされていらっしゃったのですか。

水上勉氏の書いた「せんまん命名書」

鎌田 水上先生は放浪がお好きな方でもあって、また、雑踏から離れて執筆活動に専心されるためにいらっしゃっていたようなところがあったと、当時の先生をお世話していた番頭が申しておりました。
今では考えられないことですが、一度に7本も連載を持っていらっしゃったことがあって、番頭が、「先生、どの話を書いているか頭がこんがらがらないのですか?」と伺うと、「お前さんだって、どの部屋にどのお客が泊っているかわかるだろう。それと一緒だよ」とおっしゃったというエピソードもあります。
今のようにFAXなどもないので、原稿を取りに来る編集者の方が列をなして待っていらっしゃるのです。外で待っていただく訳にもいかず、編集者の方のためにお部屋を用意したこともあったそうです。

水上勉氏と大女将

田口 まるで我が家のような感じですね。

鎌田 はい。暮れになっても、水上先生がお発ちになる気配がないので、「先生、畳を換えますから、お部屋を空けていただけますでしょうか」と言って、お帰りいただいたということもあったようです。

田口 文人だけでなく、本田技研工業創業者の本田宗一郎さんなども毎年よく利用されていたと伺いました。

鎌田 この奥湯河原の環境をお気に召していただいて、実業界の方々にもご利用いただいたようです。部屋に温泉内湯があるというのが私どもの大きな特徴で、プライバシーが守られて気兼ねなくお過ごしいただけたのではないかと思います。
そのためか、役者衆や芸能関係の方にも、数多くご逗留いただいておりました。
特に、日本画家の鏑木清方さんには、「若竹」「田毎」「花桐」「桧垣」というお部屋の名前をつけていただいたり、小林秀雄先生命名のお部屋の名前にちなんだ絵を描いていただいたりもしました。

古いものに価値を見出していただきながら、伝統を守っていく

鎌田 最近は、プライバシーという観点からも旅館でのお食事も会場で供することが多くなっていますが、私どもでは朝晩ともお食事はお部屋でお出しして、チェックインからチェックアウトまで、ひとりの係がお世話させていただくということを続けていますが、このようなスタイルも今となってはは珍しくなっています。
このようなやり方も、できる限り続けていきたいと考えております。

田口 古き良き伝統が、おありなんですね。

鎌田 古いばかりではいけませんし、古いのと汚いのは違うと思いますので、日々、修繕などをしていいかなければならないと思っていますが、今は、「しゃべれば電気がつく」といったように、家庭内の設備が便利になりすぎてしまって、それに追いつけないようになっています。
ですから、「古めかしさ」や「不便さ」に価値を見出していただけるかどうかは、お客様の選択になるのかなと思っています。

田口 ただ、新しいものをいきなり古くすることはできませんから、その時の積み重ねに価値がありますし、その場に行かないと感じられないことがありますね。

鎌田 幸い、私どもの宿は立地の関係もあって、とても静かなのです。この森の中の静寂をお気に召していただいているのです。

女将の仕事に決まりはないので、年齢によってできることを続けていく

田口 今、人生100年時代と言われますが、いつまでも情熱をもって仕事をするために必要なこと、大切なことはどのようなことだとお考えですか。

鎌田 女将の仕事は決まっているわけではないのです。先代の女将は、90歳過ぎまでお客様の前でご挨拶をしておりました。何をしなくてはいけないというのではなくて、年齢に合った接客をすることができる職種なのです。
今は人手が足りなければ、お食事も運びますし、お部屋の花を生けたり、お部屋を点検したりなど、全体の歯車の中に組み込まれていますが、万一、体がきかなくなったとしても、先代の女将のようにお客様とお話をしたり、お見送りをしたりすることはできると思いますから、その都度その都度、できることをしていきたいと思っています。
仕事の上では、お客様に喜んでいただくことが、なによりもモチベーションになりますね。お客様が、「また」とおっしゃってお帰りになることが励みになります。

田口 人間力の必要なお仕事ですね。

鎌田 今では、すごいシステムで顧客管理をされているところもあると思いますが、私どもでは、「このお客様の新聞の銘柄はこれ」「ビールの銘柄はこれ」というようなことが、全部、働く人の頭に入っています。「あのお客様がいらっしゃるから、お昼の献立はこれだね」というような会話が日々舞台裏では交わされています。

田口 その蓄積が素晴らしいことですね。今日は、伝統の良さをとても深く感じることができました。ありがとうございました。

奥湯河原 加満田
神奈川県足柄下郡湯河原町宮上784
TEL. 0465-62-2151


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