色彩トップインタビュー色彩トップインタビュー

色彩トップインタビュー

日本で唯一不動産学部を持つ明海大学前理事長 宮田侑先生をヨシタミチコ理事が訪問し、お話を伺いました。

「ここにパリのシャンゼリゼ通りを作ろう」それが今の原宿ー表参道になりました。

ヨシタ 宮田理事長の「一生を貫く仕事を持て」という言葉を読売新聞の記事で拝見しました。宮田先生にとって、一生を貫く仕事とはどのようなものでしょうか。

宮田 仕事というのは、時代によって変わっていくものです。ですから、時代の変化に対応できる仕事、社会の変化に対応できる仕事が、一生を貫く仕事になりますね。私自身は大学卒業後、まるで雑貨商のようにいろいろなことをやりました。なかでも、住環境の整備や街づくりに関心がありましたので、渋谷、原宿、千駄ヶ谷、中野などで分譲マンション建設による街の整備に携わりました。
原宿駅から伸びる今の表参道も、小さなアパートが点在しているような時代に、「ここをパリのシャンゼリゼ通りのようにしよう」ということで計画したのです。1964年の東京オリンピック当時、コープオリンピアを建設しました。その後も、中野ブロードウエイなど、さまざまな商業施設、マンション開発をおこないました。

ヨシタ 追い求めることがあるのは幸せなことですね。何かに感動して、人生に自分なりの研究テーマを持つことは、仕事において非常に大切なことだと思います。

歯科医療は文化のバロメーター

ヨシタ 前理事長でいらっしゃった明海大学、朝日大学の歯学部と長年の中国の歯科大学との交流により、中国国家友諠賞も受賞されていらっしゃいますが、歯科医療に関心をおもちになったきっかけがありましたら、お話いただけますか。

宮田 父が歯科医院を開業していたので、歯科医療は身近なものでした。また、私自身は教育にも興味がありました。そこで、歯科医師養成に携わるようになったのです。
歯科医療というのは、文明のバロメーターだということをご存じでしょうか。歯科は豊かさの医療なのです。現在でこそ、口腔内の衛生が健康に及ぼす影響について一般の人にも認知されるようになっていますが、30年前、中国では歯科医療は大変遅れていました。
当時は、中国の歯科医療は、医科歯科一元論の下でおこなわれていたため、歯科医療の発展が遅れ、口腔外科以外のいわゆる歯科医師が少なく、技工士もおこなっている状態でした。歯の問題は命に直接かかわらないため、まだまだ後回しといった時代だったのです。そんな時代に、北京大学のなかに高度の歯科医療を学ぶPDI歯科診療施設(Post Doctoral Institute)を作りました。今でも北京大学歯学部との相互交流をしています。また、明海、朝日両大学の卒業生は日本の歯科医師の1割近くを占めています。

ヨシタ 昨今では、誤嚥性肺炎などを防ぐため、口腔衛生が高齢者福祉にとってたいへん重要であるという認識がひろく一般的なものとなりました。
そんな常識がまだなかった30年前から、先進的な歯科医療の発展に取り組んでいらっしゃったことに、たいへん驚きました。

歯科医療とは別の人材育成の分野として、明海大学では不動産学部がありますが、他の大学ではあまり見たことのない学部で、たいへんユニークだと思います。研究対象には、都市計画や環境問題なども含まれると思いますが、「不動産」という枠組みで人材を育てることの意義は、どのようなことでしょうか。

不動産開発は本来、夢のある仕事

宮田 不動産開発に関わる仕事は、なんとなく「不動産屋」のようなダーティーなイメージがつきまとうためか、日本では学問の一分野として手をつける人がいませんでした。しかし、不動産を扱う場合、法律の知識が欠かせないなど、実は、さまざまな知識が必要な分野です。民法をはじめ、さまざまな法律が関わるため、そのような知識を持つ人が必要になります。
不動産は、住まいであり、仕事をする拠点であり、財産であり、環境です。個人で言えば、相続の問題がありますし、もっと大きな視点で考えれば、都市計画や過疎地問題など行政との連携も出てきます。ですから、このような広範囲にわたる総合学問としての不動産学を身につけられるようにと考えたのが不動産学部です。

ヨシタ 街をつくっていく人材を育てるというのは、意義深いですね。以前、韓国の大邱(テグ)市から招聘されて、色彩計画についての講演をしたことがあります。大邱(テグ)は、韓薬の産地という伝統的な面と繊維や眼鏡産業という面を持ったところで、色で産業を盛り上げようという取り組みでした。
色彩は空気のように、その街を印象づけると思います。

宮田 確かに色は空気ですね。今の原宿、表参道あたりは、もともと源氏山と呼ばれる丘でした。それをシャンゼリゼ通りのような雰囲気のある通りにしたいと思い、モダンなビルを建てることで、今の原宿の景観ができました。 不動産開発は、このように未来に残る仕事です。その場所で、人々の暮らしが営まれ、同時に文化も育まれます。非常におもしろく、夢のある仕事です。

歯科医療とは別の人材育成の分野として、明海大学では不動産学部がありますが、他の大学ではあまり見たことのない学部で、たいへんユニークだと思います。研究対象には、都市計画や環境問題なども含まれると思いますが、「不動産」という枠組みで人材を育てることの意義は、どのようなことでしょうか。

不動産開発は本来、夢のある仕事

宮田 不動産開発に関わる仕事は、なんとなく「不動産屋」のようなダーティーなイメージがつきまとうためか、日本では学問の一分野として手をつける人がいませんでした。しかし、不動産を扱う場合、法律の知識が欠かせないなど、実は、さまざまな知識が必要な分野です。民法をはじめ、さまざまな法律が関わるため、そのような知識を持つ人が必要になります。
不動産は、住まいであり、仕事をする拠点であり、財産であり、環境です。個人で言えば、相続の問題がありますし、もっと大きな視点で考えれば、都市計画や過疎地問題など行政との連携も出てきます。ですから、このような広範囲にわたる総合学問としての不動産学を身につけられるようにと考えたのが不動産学部です。

ヨシタ 街をつくっていく人材を育てるというのは、意義深いですね。以前、韓国の大邱(テグ)市から招聘されて、色彩計画についての講演をしたことがあります。大邱(テグ)は、韓薬の産地という伝統的な面と繊維や眼鏡産業という面を持ったところで、色で産業を盛り上げようという取り組みでした。
色彩は空気のように、その街を印象づけると思います。

宮田 確かに色は空気ですね。今の原宿、表参道あたりは、もともと源氏山と呼ばれる丘でした。それをシャンゼリゼ通りのような雰囲気のある通りにしたいと思い、モダンなビルを建てることで、今の原宿の景観ができました。 不動産開発は、このように未来に残る仕事です。その場所で、人々の暮らしが営まれ、同時に文化も育まれます。非常におもしろく、夢のある仕事です。

ヨシタ 日本色彩環境福祉協会では、環境の色彩について高齢者の居住空間などについて研究をおこなうなど、心地よい空間を色彩で実現することを多くの方に知っていただきたいと考えています。「環境の色彩」ということで、これまで特に印象に残った都市や、建築物などがありますか。

宮田 建築で後世に残っていくのは、宗教や政治に関連するものですが、やはり、ローマやミラノはおもしろいと思います。日本の建築は木造なので、なかなか古いものが残らないのが残念ですね。

ヨシタ これまで、経営者としてさまざまな組織のトップを務めていらっしゃって、「自分をモデルチェンジする」、「常に変化し続けることが大切である」と発言していらっしゃいます。しかし、普通は安定している場所に留まりたくなってしまい、変化を選ぶことは意外に難しいことだと思います。自ら変化を選びとる心を育てるヒントをいただけないでしょうか。

宮田 時代も社会も常に変化しています。それに興味をもって自分を変えていくことが大事です。そのためには、普段からの情報収集をする必要があります。いろいろな人と接して、変化がどのように起こっているのか肌で感じ、自分自身もモデルチェンジすることが大切です。私も、今の若い人が何をおもしろがっているか、学生に直に会って常にチェックしています。

ヨシタ 今日は、時代の変化を読むことの大切さを教えていただきました。ありがとうございました。