色彩トップインタビュー

Jinヴァイオリン工房にて、陳昌鼓氏と陳昌淑氏に田口さつき編集長がお話を伺いました。

最初から目標はストラディバリ

そういう父からヴァイオリン製作を学びました

 

田口 楽器製作というと日本ではヤマハなどの大きなメーカーを思い浮かべる人が多いのではないかと思いますが、弦楽器はひとりの職人さんが工房で作られるのが一般的なのでしょうか。楽器作りの世界について、教えてください。

陳昌淑 もともと西洋の楽器ですから、日本での楽器製作は、最初はヨーロッパの楽器を見よう見まねで模写することから始まりました。ピアノではヤマハや河合が有名ですが、ヴァイオリンでは鈴木バイオリンが一番の大手ですね。日本でも、だんだんとヨーロッパの手工芸的な良い楽器が輸入されるようになってきて、そういう楽器を作りたいとヴァイオリン製作を目指す方も出てきています。ですから、今では個人の工房もたくさんありますし、優秀な職人さんもたくさんいらっしゃいますよ。
私の父は外国籍であったために、日本で英語教師になりたいという夢をあきらめざるを得なかったところから、ヴァイオリン製作を目指すようになったのですが、最初から目標はストラディバリ*でした。

【アントニオ・ストラディバリ】
17世紀~18世紀にかけて活躍したイタリアの弦楽器製作者。ストラディバリのつくった楽器を「ストラディバリウス」という。その製法は彼の死後失われたため、現在でも再現のための試みが続けられている。

楽器は音だけではない
手に取ってもらえるために重要なのは「色」

田口 お父様の陳昌鉉*さんは、アメリカバイオリン制作協会から「無鑑査製作家」(Hors Concours)の認定と「マスターメーカー」(Master Maker)の称号を授与されていらっしゃる方ですね。韓国から日本に渡ってこられ、さまざまな苦難を乗り越えバイオリン製作者になられたそうですが、お父様から習うバイオリン製作とはどのようなものでしたか?

陳昌淑 父はストラディバリを目指して、そこに近づきたいという一心で楽器製作に生涯を捧げてきました。ですから、私にとっての師匠は父であり、会ったこともないストラディバリでもあります。
実は父も「音」については、これでいいというところまでいったのです。ただ、最後まで悩んでいたのは「色」でした。私などは幼い頃、「ニス」という言葉をずっと聞いて育ちました。もともと父がヴァイオリン製作を始めたのが、長野の木曽福島なのですが、秋には紅葉の色が幾重にも重なって、山がそれは美しい色に染まります。父は、そんな色を再現したいと言っていました。
音が満足なら楽器としてはそれでいいのではないかと思われるかもしれませんが、そうではないのです。どんなに良い音の楽器だとしても、ひと目見たときに「美しい」と感じてもらえなければ、手に取ってもらえないからです。
ですから、海外の演奏家が来日すると、楽屋に行って楽器を見せてもらいに行きます。有名な演奏家はほとんどストラディバリウスを使っているので、それを見せてもらうのですが、いつも父が「こんな色が出せたらなあ」と言っていたのを思い出します。

【 陳昌鉉 (ちんしょうげん) 】 1929年~2012年
14歳で韓国から日本に渡り明治大学英文科卒業。
1956年から長野県木曽福島町にてヴァイオリン製作を独学で習得。
1978年、アメリカ国際ヴァイオリン・ビオラ・チェロ製作者コンクールにて6部門中5部門で金メダルを受賞。
1984年には、アメリカヴァイオリン製作者協会より無鑑査製作家の特別認定と、「マスターメーカー」の称号を授与される。
2002年に出版された自叙伝『海峡を渡るバイオリン』(河出書房新社)は、TVドラマにもなった。

田口 楽器製作というのは、どのように学ぶものなのですか?

陳昌鼓 今は大昔とは違って教科書があります。ですから、当然そういうものも参考にしますが、基本は父がしていることを見て覚えるという学び方でした。
まず良い材料を見極めることから始まり、板の削り方はもちろん、刃物の研ぎ方まですべて見て覚えます。実は、ここにある道具は父が作ったものなんです。物がない時代にヴァイオリン製作を始めたので、刃物なども自分で作りました。最後の焼き入れだけ鍛冶屋さんに頼むという感じでした。今、こういう道具を使えるというのも、幸せなことです。

何かを美しいと感じた体験
その感動を製作のなかで表現する

田口 伝統工芸の職人さんの世界には、他の人には教えないような秘伝があると聞きます。ストラディバリの楽器が素晴らしくても真似できないように、やはり現代でも外に出さない製法の秘密などがあるのですか?

陳昌淑 それはどこの工房にもあると思います。例えば、良い木がなければ良いヴァイオリンは作れませんが、特に材料の目利きなどは、工房で一緒に働いている家族にしかわからないものがあります。これは「教えてください」と言われても、すごく感覚的で説明できないようなものです。
さまざまな材料に触れているうちに、この木目ではこういう音が出るというのがわかってきます。それをどんなふうに生かそうかと考えながら作るのです。
楽器の板に目止めという下塗りをすると、それだけで個性が出ます。まだニスの色がついていない段階ですが、木が「この色になりたい」と語り掛けてくるように感じるのです。私はそれを感じ取って、木がなりたい色に仕上げていくような感覚があります。そういう製作の過程で、自分が心動かされた瞬間の感動の気持ちを込めていくということを大切にしています。音楽でなくてもいいのです。絵画でも、芝居でも、街のショーウインドウでも、「美しいな」と心を動かされたら、立ち止まって鑑賞します。そして、その感動を表現に込めるのです。
感動の気持ちを表すためには技術が必要です。でも、技術だけでは誰かの模倣になってしまって、自分の作品にはなりません。自分の内にある感動の気持ちを表現できて初めて、自分の作品になると思っています。

ひたむきに仕事をしていることで
運命を変える出会いが訪れる

田口 楽器製作をするなかで、苦労はありますか?

陳昌淑  私自身は仕事で苦労と感じたことはありません。苦労と感じたらできないと思っています。ただ、父の時代は食べるものにも困るなど、今では考えられないような体験もあったと聞いています。そんななかでも、素晴らしい人との出会いが、運命を変えていったと思います。
例えば、世界的ヴァイオリニストのオイストラフ*さんは、生前、父が親しくさせていただいたのですが、ご自身の使っているストラディバリウスを何時間でも父に見せてくださって、「良い楽器というのは、こういうものなんだよ」と、さまざまな楽器の良さや音の特徴などについて惜しげもなく教えてくださる本当に素晴らしい方でした。そういう出会いがあると、例え失敗しても気持ちは落ちないのです。
諦めないで生きていたら、必ずどこかで自分を助けてくれる人との出会いがあるんじゃないでしょうか。

【 ダヴィッド・オイストラフ 】 1908年~1974年
ロシア帝国オデーサ(現ウクライナ)生まれのヴァイオリニスト。
1928年ソリストとしてデビュー。モスクワ・フィルハーモニーに所属した。
1937年ウジェーヌ・イザイ・コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクール)で1位となり、世界にその名が知られるようになる。後年はモスクワ音楽院で教鞭を執るかたわら演奏活動を続け、ギドン・クレーメル等が門人にいる。

田口 今、中世の教会などで使われていた木材を使って楽器を作っていらっしゃるそうですが、そのような材料はどうやって手に入れるのですか?

陳昌鼓 ヨーロッパでは教会などの修復をする際にいらなくなった古材を楽器工房が持っていることが多いのですが、後継ぎがいなくなった工房がそういう材料を売りに出すことがあります。海外では製作者同士が積極的に意見交換する文化があるので、自然に情報が入ってきます。ただ、日本国内では気軽に意見交換できる雰囲気がなくて、そこは少し残念なことだと思っています。

すべての楽器に
愛情をもって接する

田口 どんな人にご自身の楽器を使ってほしいですか?

陳昌淑 うちの楽器を「素晴らしい」と思ってくださる方なら、プロでもアマでも関係なく、どんな方でも大歓迎です。子どものときから「相手の身なりで態度を変えるようなことは、お父さんは絶対許さない」と言われて育ちました。修理の依頼で持ち込まれる場合でも、それが高価な楽器だろうと、そうでなかろうと、すべての楽器に愛情をもって接することが、私たちの信条なのです。

田口 本日は楽しいお話をありがとうございました。

JINヴァイオリン工房
弦楽器製造販売・修理調整
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