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衣紋道山科流三十代家元後嗣  山科 言親 氏に清水 隆 広報部長がお話を伺いました。

平安王朝の色彩文化 「襲の色目」の伝承

 

今日も続く「衣紋道」という仕事

清水 山科家と言えば、平安の雅を今日に伝える由緒あるお家柄ですね。

山科 山科家は藤原北家の流れを汲む公家です。平安時代後期の藤原実教(1150〜1227)を 初代として始まり、私で三十代を数えます。
後白河法皇より山科新御所とその周辺を所領として賜り、以後代々伝承したことから「山科」が家名となりました。歴代当主は、大納言、中納言、参議等の要職 についた他、宮廷装束の調進と着装の知識と技術を伝える「衣紋道」を家職として、有職故実をもって天皇の側近として仕えました。
明治維新後は、華族として伯爵となり、歌道を伝える冷泉家などと共に京都に残った数少ない公家です。

二十五代山科言縄(ときなお)卿の束帯姿

清水 現在でも宮中での儀式に関わっていらっしゃるのですか。

山科 はい。一昨年秋の御大礼においても、天皇陛下はじめ皇族方に衣紋をご奉仕するなど、古来より 続く宮廷装束の伝統を現代に伝えています。

清水 今回、山科さんにはぜひ「襲の色目」について教えていただきたいと思っていました。

山科 宮廷装束における色の使用を考えますと、公的な儀礼では身分に応じて着用できる色が決まっていますので、政治的・社会的な意味合いが強くなると言えます。
その一方で、日常着などの装束は、色使いがかなり自由となりますから、そこに人々の美的なセンスが競われるようになるのです。

清水 儀礼で使われる色と、日常の装束では違いがあるのですね。

平安時代に装束が国風化すると同時に「襲の色目」という独自の文化が確立する

山科 平安時代には装束の国風化*と共に、「襲の色目」という繊細な配色美を衣に表現する独自の文化が確立しました。残念ながら往時の染織品は殆ど残っていませんから、環境や素材の変化等も考慮すると、その当時の色を復元考証するのは容易なことではありません。

「襲の色目」の古文書。その季節(月)に相応しい襲の色目。 下段に色の組み合わせが記されている。

今のように写真で記録ができない中、色調や色彩感覚は伝えにくいものですが、文書で書き残されたことでかろうじて後世に伝えられ、その美を垣間見ることができるものがあります。
色にはその 時代の空間や人物の雰囲気といったことまで想起させてくれる不思議な力があると思います。

平安の王朝人が自然から受け取っていたものの豊かさ

清水 実際には「襲の色目」はどのくらいの組み合わせが存在するのですか。

山科 中世以来、「襲の色目」の組み合わせは諸説伝承されています。当家に伝わる「襲の色目」は、約200種類を数えます。
装束生地の表(面)、中倍、裏の3色、表裏2 色の組み合わせ、 あるいは五衣の5枚のグラデーションがあります。それぞれの色の組み合わせは、植物や自然現象から着想を得て、春夏秋冬と雑(通年)という季節ごとの分類がなされています。

それぞれ「松重」、「初雪」、「つぼみ菊」というように銘がつけられています。これらの銘からは、当時の人々が深い洞察力で自然に宿る色に向き合い、時に対象を抽象化したり見立てたりしながら、色彩美にこだわっていたことが窺えます。
おそらく現代人の感覚と平安の王朝人の五感の鋭さとでは、同じ自然を前にしても受け取れるものは比べるべくもないのではないかと思います。

清水 当時の人々が持つ「色」への意識は、今とは全く違ったものだったのでしょうか。

山科 近現代のように色を自由かつ手軽に表現できる世の中と異なり、平安期は高度な職人技術のもとで限られた貴重な染料を、かなりの手間暇をかけて製作していたと考えられます。

葵祭の女人列

そのような時代において、染料が最も優先的に使用され、豊かな色使いが実現されたのは、何より人間の肌身に接する衣服であったのは間違いありません。
染料となる植物には薬効があることも多く、古代の先人は自然に祈りを捧げ、身にまとうことで邪気を払うと いった目に見えない力も色に求めていました。それを思えば、普段私たち現代人が色に対して感じること、託している思いは、とても狭い範囲に限られていると感じます。

清水 確かに、私たちは「色」というのは、物の表面についているものという認識しかなかった気がします。

持続可能な社会、自然環境との関わり方を平安時代に学ぶ

山科 近代以降、植物染料は化学染料に取って代わられてしまいました。
しかし、近年、京都の美山で日本茜の栽培が進んでいます。それを古代染の職人さんに染めてもらい、その糸を使用して、装束の復元もできるようになってきました。
持続可能な社会、自然環境との向き合い方が問われる現代において、 自然への畏敬の念を持ちながら、その恵みを活かして共生していくことは、これから一層取り戻していくべき価値観になりえると考えています。

清水 山科家の旧邸宅である「源鳳院」を一般に公開されていらっしゃるそうですね。

山科 源鳳院は東山の麓、院政期の史跡が多く残ることで知られる岡崎に佇み、大正9年(1920)に山科家二十六代の言綏が創建した邸宅です。
昨年、築100年を迎え、現在は旅館と文化施設として運営活用しています。七代目小川治兵衛作の庭園を見渡せる大広間では、2018年の夏から宮廷文化を中心テーマとした文化講演会や展覧会を定期的に開催しています。

源鳳院にて大正期の山科家の婚礼

京都文化の核、ひいては日本文化の根源として存在してきた宮廷文化ですが、明治維新以後の奠都や急速な西洋化の煽りを受け、御所風の雅な文化を活きた形で伝承することは極めて困難な状況が続いてきました。
天皇や公家が育んだ美意識や自然観、文化的役割について、 それが魅力的に語られ、意識される機会は残念ながら少ないのが現状です。
宮廷の文化ゆえに奥ゆかしく縁遠いように思われるかもしれませんが、各地で行われる五節句のような年中行事、美術工芸品や文学、建築、宗教、芸能など様々な分野が宮廷文化の影響を受けて発展していますから、宮廷文化を知ることは、日本文化の存立を辿ることにもつながります。先人から受け継いできた文化を実際に体感し、その本質を考える場として、今後も活動を継続していきたいと思います。

清水 本日は、貴重なお話をありがとうございました。

山科伯爵邸源鳳院
京都市左京区岡崎法勝寺町 77
TEL. 075-752-1110

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