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色彩トップインタビュー

株式会社細尾 代表取締役社長 細尾真孝氏に、当協会のヨシタミチコ理事がお話を伺いました。

究極の美を求めて1200年 西陣織には常に挑戦するDNAがある

 

西陣織は1200年前から続く
天皇家や公家方誂えの織物です

ヨシタ 現在、西陣織という日本の伝統工芸を活かしながら、世界が注目するさまざまなプロジェクトや製品を発信していらっしゃいますね。着物が日常着ではなくなり、日本人であっても「西陣織」をよく知らない人がいると思います。まず、織物としての「西陣織」の特徴を教えていただけますか。

細尾 西陣織の歴史は古く、5~6世紀にまでさかのぼります。中国から渡来した空引き機という大きな織機を使い、ひとつの織物を二人掛かりで織っていくものでした。とても緻密なもので、1日に1ミリ織れるかどうか、1年かけてようやく1反作るというような精緻なものです。もともと、天皇家や公家方がお客様でしたので、お金や時間に糸目をつけず、究極の美を追求することが使命となっていました。
ひとつの織物を作るにも、織り手だけでなく染色をはじめとしてさまざまな職人が関わりますが、西陣ではこれが単なる工業としての分業ではないのです。それぞれの道のスペシャリストが集まって、究極の美を追い求める。それが、西陣織だと思います。
西陣という名は、応仁の乱の後、西軍の本陣があったあたりで織物業が再開されたことに由来しています。

ヨシタ 伝統工芸の世界から、新しいものを開発していく苦労は並大抵ではなかったと思います。大きな変革のきっかけとなった建築家、ピーター・マリノ氏との仕事についてお話しいただけますか。

細尾 2006年から海外へ向けての仕事をするようになりました。2008年に日仏国交150年を記念した展覧会がルーブル美術館で開かれ、帯を2本出展しました。
その展覧会が翌年の2009年、ニューヨークに巡回し、ピーター・マリノ氏の目に留まったのです。その後、マリノ氏から開発依頼のデザインが送られてきたときには、非常に驚きました。なぜなら、その絵は「和柄」ではなかったからです。
それまで、私たちは海外に日本の伝統工芸を展開しようとする場合、日本的な柄でないと差別化できないと考えていましたが、マリノ氏が求めたのは、伝統的な西陣の技術を使って、現代のラグジュアリーブランドのショップを飾るインテリア壁紙を作ることでした。
そして、それを実現するために、大きな変革を迫られることになりました。

壁紙として使えるようにするため
新しい織機の開発が必要だった

ヨシタ 洋服生地では140cm幅などがありますが、和服の反物は幅が狭いですね。

細尾 帯の反物は、32cm幅が基本です。ただ、32cmの織物を大きな壁紙に仕立てようとしたら、はぎ目がたくさんできてしまいます。それでは美しい壁紙になりませんから、150cm幅の織物が可能な織機を開発することにしました。
1年後の2010年、世界で初めて150cm幅の西陣織の織機の開発に成功しました。

ヨシタ 短期間に新しいものを作り上げるチャレンジ精神は、並大抵のことではないと思います。

細尾 西陣には、これまでにも困難に打ち勝ってきた歴史があります。例えば、明治遷都の際にそれまでのお客様であった将軍家などが東京に移ってしまい、誰も西陣織を買わなくなり非常に窮地に立たされました。その時にも、職人の代表3名が当時の最先端だったジャカード織機を視察するため、フランスのリヨンに渡航しています。その頃の海外渡航は命がけの旅で、1人は現地に到着する前に亡くなってしまいました。このようなエピソードでもわかるように、西陣の職人には、常にチャレンジするDNAがあるように思います。

「Nishijin Sky」は、ものの二面性を
織物で表現するプロジェクト

ヨシタ 現代アーティスト、テレジータ・フェルナンデス氏の作品を織物で表現するというコラボレーションでは、作品のテーマである「ものの二面性」を紗という織を使い、「織物の二面性」で表現することに成功しました。この作品には、ゲーテが色彩論で述べている「美は薄明のなかにある」という言葉と通じる美の在りようが現れていると感じます。

細尾 これは「Nishijin Sky」と名付けられたプロジェクトで、見る側によって全く違った表情が現れるものです。片側から見ると透けて見えますが、反対側から見ると全く透けないのです。また、明るい日の光があれば透けて見えますし、夕暮れになると表面がきらきらと輝きます。
そして、日が落ちてしまうと全く透けない状態になります。このように、表と裏だけでなく、時間軸によっても違った表情を見せる作品となっています。

「前と同じでいい」と言われても
もっと喜んでいただけるものを模索する

ヨシタ 細尾さんは、ご自身の著書『日本の美意識で世界初に挑む』のなかで触れておられますが、「やらなくても良いことを、やりたいからやる」という職人さんたちの遊び心が、工芸における美意識を高めたというお話はとても面白いですね。そのような意識は、現代でも生きているのでしょうか。

細尾 西陣の職人には、いい意味で遊びの部分、自分たちで「美を探求していく」気持ちが強くあると思います。「商売だから、このくらいでいい」ということでなく、純粋に美を求める心があるのです。ですから、すぐにビジネスにならなくても、美のために必要ならば、研究を続けるという姿勢があります。
お客様に「前と同じでいい」と言われても、あえて自分たちに負荷をかけて「もっと喜んでいただくにはどうしたらいいか」と、ついつい考えてしまいますし、より美しいものをと常に模索しています。

素材の持ち味、自然が持つ可能性を
しっかりとらえて物を作る

ヨシタ 使い捨てではない美しい本物と丁寧に向き合うことは、物に対する姿勢として、より大切になってくると思います。現代のSDGsにも関連してくることですが、そういう意味で、伝統的な工芸品の役割をどのようにお考えですか。

細尾 自然の素材が持つ可能性をしっかりとらえて物を作ることが大切だと思っています。作ったものも修繕しながら使うというような、工芸的生産と工芸的消費が必要です。
例えば、日本の紫草で作る濃き紫は、傷を治す効果がありますから、見て美しく、装って体に良いのです。染色には、色の素になる植物だけでなく、さまざまな素材と水が使われますが、それら自然の力を「色」として吸い取っていくのが染色です。織物は、自然との調和なくしては成立しません。現在、古代染織研究所を立ち上げて、丹波の畑で日本紫を育てています。文化的な営みを残していくことが必要だと考えているからです。ただし、これは、単なる懐古ではありません。過去を参照しながら今の時代
のベストを尽くすという意味での取り組みです。

自由で創造的な働き方は
伝統工芸のなかにある

ヨシタ 人生100年時代と言われますが、いつまでも情熱をもって仕事をするために大切なのは、どのようなことだとお考えですか。

細尾 ジョン・ラスキンの言葉にもありますが、これからの仕事は、強制される「労働=Labor」から、「創造的な仕事=Opera」に変わっていくことがテーマになると思います。このような自由で創造的な働き方は、実は伝統工芸のなかにあると私は考えています。

ヨシタ 本日は貴重なお話をありがとうございました。


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