色彩トップインタビュー色彩トップインタビュー

色彩トップインタビュー

浄土真宗本願寺派名称寺筆頭院代・龍谷大学職員 森雅一氏に当協会のヨシタミチコ理事がお話を伺いました。

他人と比べることなく 自分自身の「色」で光り輝こう

 

ヨシタ 龍谷大学は、400年近い歴史を持つ大学だそうですね。その起源や教育の特徴などを教えていただけますか。

 龍谷大学の歴史は古く、1639(寛永16)年に西本願寺に設けられた「学寮」にはじまります。「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間の育成に努める大学です。それは人生に深みと広がりをもたらすことができ、自分のものさしだけで世の中をみていたことから、仏さまのものさしで物事を見ることができるようになり、狭い苦しい世界で閉じこもっていた自分自身をみつめ直し、心穏やかな人生を過ごせるように導かれます。長い伝統は深い人間洞察の気風を育み、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の生き方に由来します。2019年度には創立380周年を迎えました。行動哲学に「自省利他」を掲げていますが、これは絶えず自らを省みることで、数限りない「縁」から成り立っている己の存在を見つめ、他者との関係性を重んじながら、他者の安寧に資することを考えて行動するという志をあらわしています。
 
僧侶は偉いわけではなく、教えを伝える役目です

ヨシタ 森さんのお寺は、親鸞に続く家柄だとお聞きしました。僧侶でありながらも市井で生きることは、どのような意味を持つのでしょうか。

 私の所属寺は、奈良にある由緒ある古刹で、親鸞聖人の血族であります。私は筆頭院代(住職代理筆頭)という役目を授かっております。
 僧侶でありながら市井で生きることは、ごく普通のことであると親鸞聖人は弟子をひとりももたず、同じ煩悩をもつ人間として、人々と接してこられました。僧侶は偉いわけでなく、御仏の教えをお伝えする役目であり、そのことで安堵して人生を生きることへ導き、市井で共に生きることこそが大切であると感じております。

ヨシタ 親鸞聖人は「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を残していますが、これについて、どう思われますか。

 親鸞聖人の生きた当時は養和の大飢饉などで、京都の街中に死体があふれ、それを処理することができない酷いありさまであったと、鴨長明の方丈記などにもあります。死が大変に身近なものでありました。命というのは桜の花ように儚く、明日をも知れないものであると親鸞聖人も受け止められたと推測します。
 またお得度に当たって、御伝鈔などでは親鸞聖人が殊勝な心を起こされたと言われています。史実としては親鸞聖人のご家庭の男子がみんな出家していることから、家に重大な事件があったと考えるのが順当で、みんな死んでしまうし、頼りになる家もない、そういう状況で現在の小学3年生くらいの男の子が、行ったこともない山に籠ることへ、不安がいっぱいであったと推測できます。命は儚いものだとわかり、必ず死ぬ身であることを諦らかにし、強い意志で今を強く生きようとする意思が想像されます。
 死を受け入れたことから、生への力強い親鸞聖人の生きざまがこの歌から始まったのではないかと感じております。

それぞれの色でそれぞれの花は光り輝く

ヨシタ 以前、森さんから『阿弥陀経』の一説「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」ということを教えていただいたことがあります。

 『仏説阿弥陀経』の一説に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」とあります。これは、池の中で蓮華が美しく輝きいい香りをだして大きく咲いている様子を表しております。蓮は泥の中で咲きます。どんな泥のような状況であっても、美しく咲くことができることをお釈迦様が説かれています。そして、青色の人は青く輝き、黄色の人は黄色く輝き、赤の人は赤く輝き、白の人は白く輝くことができると説かれています。青の人が白く輝くことはできないけれども、どのような泥の中でも自分自身の色で必ず光り輝くことができる。他人と比べることなく自分自身の色で輝くことの大切さを説かれているのです。私たちは、他人と比べ善し悪しを決めたり、優越感を持ったり、卑下したりします。自分の色で光り輝けば良いのに、他人と比べるのです。自分自身で、自分の色で光り輝くことが最も大切なことであることが説かれております。

ヨシタ 毎日、早朝に法話をされているとお聞きしました。現代社会で仏教が果たす役割とは、どのようなものがあると考えていらっしゃいますか。

 毎朝、SNSを通じて1年間法話をしておりました。現在は9,500人のグループで、法話や誘導瞑想などをしております。日本色彩環境福祉協会の宣伝もしております。(笑)
 現代社会では、こころを病んで、悩んでいる方が多く、本当に大切なことを見失ってしまっているようにも感じます。少しでも仏教などを通じてこころの安らぎになればと考えております。

人生に立ち向かう必要はありません

ヨシタ 人生100年時代と言われますが、自分の人生にどんな気持ちで立ち向かえばいいと思われますか。

 人として生まれる縁をいただき、生かされている自分を大切にして、悠々と楽しくしあわせに暮らせば良いと思います。それを世の中のものさしでしあわせの定義がゆがめられ、ありもしない定義でしばられて、人と比べて生きていることは楽しくなくギスギスした生き方になると思われます。
 生きているだけですばらしいのです。人生はすべてマルです。自分を大切にして愛し、そして他人を大切にして愛していくことで、多くの方がまわりに集まり、しあわせがやってきます。大金持ちになっても、しあわせなどやってきません。死んだらお金は持っていけません。徳だけが持っていけるものになります。こころが清らかで豊かであれば、本当のしあわせな人生がやってきます。なにも構えることも立ち向かうこともありません。今日朝目覚めて、元気でおはようと言え、有難うと言えること、笑顔で暮らせばそれ以上のものはないのです。そのように思います。

ヨシタ 日本色彩環境福祉協会では、「色でしあわせ」をキーワードに、色彩を通じて福祉を実現することを目指していますが、今後は、協会理事としてどのような活動をしたいとお考えですか。

 「色でしあわせ」になり、色彩を通じて福祉を実現していくことは、私の人生のテーマでもあります。超高齢化社会となり、認知症などが増え、人と人のコミュニティが失われてきている中、色や香りなどを通じて世の中にしあわせを伝えていくことが役目であると感じております。
 本願寺が全国で一番門徒数が多いのはご存じの方も多いかと思います。八代宗主蓮如上人は中興の祖と呼ばれ、「講」というコミュニティを、全国各地につくり、その教えを御文章とよばれる手紙にて伝えることで、多くの門徒が増えていき現在に至っています。この仕組みは、他の宗派も真似されています。協会理事として、日本色彩環境福祉協会として「色でしあわせ」をキーワードにコミュニティをつくっていき、その素晴らしさを多くの方に伝えていきたい。SNSなどを通じてより多くの方にお伝えし、協会の発展に少しでも貢献できればと考えております。

「感謝」「利他」「善行」がしあわせをもたらす

ヨシタ 森さんは人の「しあわせ」とはどのようなものであるとお考えですか。

 仏教では、「しあわせ」とは、こころを清らかにし、次の3つのことをするとしあわせになると言われています。1「感謝」。2「利他(他人のためにつくすこと)」。3「善行を尽くして行動する」の3つです。簡単にみえますがなかなか煩悩があるので難しいですね。

 さてそれでは、反対に「不幸せ」はどんな状況でしょうか。それはしあわせの3つの反対の状況です。1「不平不満を言う。愚痴を言う。」。2「わたしがわたしがと自分のことばかり主張する。」3「なまける。何もしない。迷っている。行動しない。」ことです。私が知る限り、しあわせで輝いている方とお話ししていると、すぐに「ありがとうございます」という言葉が口にでてきます。そして、人のために行動なさっています。「しあわせ」とは本当にこの3つさえしていればなれるのです。精進したいと思います。

 最後に大好きなダライ・ラマ14世の言葉をみなさまに贈ります。
 「毎朝、目覚めたらこう考えなさい。今日も目覚めて生きることができて、私は恵まれている。人として貴重な人生を送ることを、無駄遣いはしない。私はすべてのエネルギーを、自己の成長と、他者への思いやりに使うことにする。できる限り人の役に立つのだ。」
 これまで近畿支部長をしてきており関西に住んでおりますので、関西でイベントを開催することが多いかと存
じます。是非その際は、ご参加のほどお願い申しあげます。

ヨシタ 理事としての活躍を期待しております。本日は貴重なお話をありがとうございました。

龍谷大学
京都市伏見区深草塚本町67 
TEL. 075-642-1111

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